オウム真理教に関する報道について

私が決して忘れることが出来ないことがオウム真理教についての報道の数々です。

松本サリン事件の報道のときも不気味さを感じましたが、河野義行さんが冤罪で疑われたため、オウム真理教による犯行であることを私は最初は認識出来ませんでした。弁護士一家の殺害事件や公証役場の方の殺害事件などあまりにも凶悪な犯行が目立つ中で、私が最もショックを受けたのが地下鉄サリン事件です。

地下鉄サリン事件は霞が関駅付近でサリンがばら撒かれたと記憶していますが、私の父がまさに地下鉄を利用しており、霞が関駅で毎日下車をして乗り換えていました。事件当日は父が普段利用する時間よりも少しだけ早く犯行がされたため、父の電車はそのまま霞が関駅を通過したそうです。朝から会議が入っているような場合、父は少し早く家を出ていましたので、事件の被害者として命を落としていても何らおかしくない状況でした。私は当時大学生でしたが、本当にこんな身近に自分が事件の遺族となりうる事実に恐ろしくなりました。

他にも警察庁長官の狙撃事件や、幹部の刺殺事件などありましたが、現在世界で起きている一連の凶悪なテロ事件と比べても何ら変わりのない恐怖だったと実感します。私は宗教自体は全く否定するものではありませんが、この事件が発生してから、宗教が結果的に人間社会にもたらすことが良くないことが多いと思うようになってしまいました。宗教を通じて何かの教義や神を信奉することは各個人の自由だと思っていますが、そういった個人の信仰の自由を一部の宗教に傾注する当事者が原理主義的に認めなくなることこそが問題だと思います。

この事件を通じて思うようになったことは、人は人、自分は自分であるということです。誰も他人の考え方や人生を強要したり奪ってよいはずも無く、矛盾や違いだらけの社会の中で、自分がどのようにぶれずに社会と折り合いを付けていくのか、そのことが大切だと今でも思います。

父の身が無事であることに安堵するのと同時に、一連の事件で犠牲になった方々の無念さを思うと本当に悔しかったものと察します。松本サリン事件でご家族が被害に遭ったにも関わらず、社会、マスコミから犯人であると決めつけられた河野義行さんはどんなにか辛かったかと思います。私自身の身に置き換えたらちょっと耐えられないと思います。報道は事実だけをあくまでも中立の立場として報じることがいかに大切であるかを考えさせられもする、一連のオウム真理教に関するニュースでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です