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ロシアにドーピング疑惑!

ソチオリンピックでロシアが国家ぐるみでドーピングを行っていたというニュースが話題になっています。スポーツにおいてドーピングは絶対にやってはいけない行為。特にオリンピックは「人間が努力だけでその限界に挑戦する」という側面があるので、薬の力を使ってはダメなのです。公平性という点からももちろんNG。そして何より、ドーピングで使用する薬の副作用が心配です。服用時は問題なくても、将来的に体をむしばんでしまう可能性があります。色々な理由から、ドーピングはダメなのです。
そのドーピングを国家ぐるみでやっていたとなると、事態は深刻です。国際陸上競技連盟が、ロシアチームのリオオリンピック出場を禁止し、波紋が広がっています。賛否両論あるでしょうが、私の意見では仕方がないことだと思います。ドーピングは絶対ダメなのだという姿勢を国内外に示すべきです。処分がゆるすぎては、再び同じことが起こってしまいます。
この処分を受け、オリンピックに出場できなくなったロシアのエレーナ・イシンバエワ選手が自らのSNSで「偽の金メダルを取るといい」などと投稿しました。これは非常に許せない発言だと思います。イシンバエワ選手は、女子棒高跳びで何度も世界記録を更新したスーパーアスリートですが、オリンピックを侮辱するような発言はどうしても許すことが出来ません。言いたいことがあるのはわかりますが、文句を言うならドーピングを行ったロシアの選手や主導した国家幹部へ言うべきです。ドーピングの問題を棚にあげ、オリンピックを貶めるような発言をすることで、ロシア自体の評価をさらに下げてしまうと思わなかったのでしょうか。
リオオリンピックのロシア全選手の締め出しは免れたようですが、いつもと同じように、いやそれ以上に、人々を感動させるようなオリンピックになることを願ってやみません。

オウム真理教に関する報道について

私が決して忘れることが出来ないことがオウム真理教についての報道の数々です。

松本サリン事件の報道のときも不気味さを感じましたが、河野義行さんが冤罪で疑われたため、オウム真理教による犯行であることを私は最初は認識出来ませんでした。弁護士一家の殺害事件や公証役場の方の殺害事件などあまりにも凶悪な犯行が目立つ中で、私が最もショックを受けたのが地下鉄サリン事件です。

地下鉄サリン事件は霞が関駅付近でサリンがばら撒かれたと記憶していますが、私の父がまさに地下鉄を利用しており、霞が関駅で毎日下車をして乗り換えていました。事件当日は父が普段利用する時間よりも少しだけ早く犯行がされたため、父の電車はそのまま霞が関駅を通過したそうです。朝から会議が入っているような場合、父は少し早く家を出ていましたので、事件の被害者として命を落としていても何らおかしくない状況でした。私は当時大学生でしたが、本当にこんな身近に自分が事件の遺族となりうる事実に恐ろしくなりました。

他にも警察庁長官の狙撃事件や、幹部の刺殺事件などありましたが、現在世界で起きている一連の凶悪なテロ事件と比べても何ら変わりのない恐怖だったと実感します。私は宗教自体は全く否定するものではありませんが、この事件が発生してから、宗教が結果的に人間社会にもたらすことが良くないことが多いと思うようになってしまいました。宗教を通じて何かの教義や神を信奉することは各個人の自由だと思っていますが、そういった個人の信仰の自由を一部の宗教に傾注する当事者が原理主義的に認めなくなることこそが問題だと思います。

この事件を通じて思うようになったことは、人は人、自分は自分であるということです。誰も他人の考え方や人生を強要したり奪ってよいはずも無く、矛盾や違いだらけの社会の中で、自分がどのようにぶれずに社会と折り合いを付けていくのか、そのことが大切だと今でも思います。

父の身が無事であることに安堵するのと同時に、一連の事件で犠牲になった方々の無念さを思うと本当に悔しかったものと察します。松本サリン事件でご家族が被害に遭ったにも関わらず、社会、マスコミから犯人であると決めつけられた河野義行さんはどんなにか辛かったかと思います。私自身の身に置き換えたらちょっと耐えられないと思います。報道は事実だけをあくまでも中立の立場として報じることがいかに大切であるかを考えさせられもする、一連のオウム真理教に関するニュースでした。

経済という名の脅威

ニュースによれば、世界の平均気温が、この100年で、平均1.3度上昇したとか。1.3度ってたいしたことないような気もしてしまいますが、海の生き物たちには、深刻なダメージをおよぼしているようです。日本ではこれを、地球温暖化と呼んでいますが、アメリカなど温暖化を認めたくない国では、気候変動と呼んで、区別しています。話は変わって、断捨離につづいて、最近ミニマリストという言葉が、ブームになっています。最低限のモノで暮らす、モノよりもコトを大切にするひとたちのことです。わたし自身、あふれるモノに囲まれて暮らすのは、好きではなく、もともとすっきりした暮らしが好きです。別に、なにか新しいものがほしい、という欲求も、ほとんどありません。だいたい、どこの店を見ても、99.9パーセントは、なくてもいいものばかりです。なのに、企業は、なくてもいいものを作り続けています。ただひたすら、作って売っています。ただ、もし全ての人が、わたしのような考え方をしていたら、経済がまわっていきません。しかし、経済のためなら、なにをしてもいいのでしょうか。経済だけを追求し続けたら、この地球はどうなってしまうのでしょう。先ほどの、地球の気温上昇のニュースで、ではわたしたちはどうすればいいのか、というようなことを言っていましたが、答えにはだれも触れていません。気温の上昇を抑えるのなら、わたしたちは成長をやめなければならないからです。経済は、人類に必須のものでしょうか。

マスコミの偏った選挙報道への危機感

1983年8月2日。
開園したばかりの”東京ディズニーランド”のシンデレラ城の前。ピースサインに満面の笑顔で写っている小さな私がいる。

父は長年旅行会社に勤めていた。今から思うときっとその関係でチケットが手に入ったのだろう。

四国から一度も出たことのない母に連れられて、当時、豪華大型フェリーの先駆けだった「ほわいとさんぽう2」に乗った私は興奮し過ぎて一晩眠れなかった。

神戸港から伊丹空港へ。人生初めての飛行機。大きな機体が離陸時にフワッと上がるあの感覚がジェットコースターに乗ったみたいで、子供心に感動したのを覚えている。

フェリーに飛行機、はとバスに、ディスニーランド。父が、母と私にプレゼントしてくれた「初体験」の詰まった夢の旅行だった。

その日から2年・・・。 1985年8月12日。

あの日、母と私が乗った日本航空123便は、御巣鷹の尾根に消えた。

妻や子供を思うビジネスマンの父も、祖父母に会いに行く為に勇気をふりしぼった少年も、恐怖の中で何を思っただろうか。

あの日・・・父は22時過ぎに帰宅した。

既にその頃、報道特別番組が始まり、搭乗客の氏名が画面に次々と映し出されていた。その数に、子供とはいえ「とんでもないことが起こっている」ということだけは、うっすらと分かった。

「会社の同僚とお客様が乗っているようなんだ」と、血相をかえた父は玄関を開けるなり母に告げた。確認作業がいつまでかかるか分からないから、着替えを取りに一旦帰宅したという。いつも穏和な父の顔は違っていたのだろう。怖かったことだけを今でもはっきりと覚えている。

錯綜する情報に、父の身体を心配して母は一睡もすることも出来なかったようだ。

でもあの時、搭乗していた家族は、どんな気持ちで無事を祈っていただろう。明け方にやっと発見された機体は「絶望」という言葉しかない位粉々だった。

あの日から31年目の夏がまたやって来る。

離陸の12分後から始まった30分の闘い。15年後に公開されたボイスレコーダーに残っていた機長と運行乗務員2名の懸命な声は、確かに「乗客を助けたい」という思いだけだったと感じる。

乗客は、いつ自分を待つ運命を悟っただろう。小さなメモに、感謝とこれからの願いをしたためながら、ここで人生が終わってしまう無念に涙をこぼし、覚悟を決めたのだと思うと胸が締め付けられる。

私もあの当時のビジネスマンと同じような年齢になり、自分だったら、取り乱すことなく自分の運命を受け入れることが出来ただろうか、と考えてしまう。

どれほど無念だっただだろうか。どれほど切なかったかだろうかと思うと、自分が年齢を重ねれば重ねる程、この事故への思いは募る。

事故がなければ、たまたま123便に乗り合わせたという、ある日常の1日で終わるはずだった人々の運命。

事故を経て、それは世代が変わっても繋がっている。

機長の娘さんは現在、日本航空の客室乗務員として活躍されているそうだ。墜落したジャンボ機の機長の娘として苦しい日々を送ってこられたに違いないが、彼女はこの仕事を選んだ。そんな未来を当時の機長は想像しただろうか。悲しい事故の教訓を「未来」に繋ぐという仕事を娘さんは選んでくれたのだ。

その「未来」がある限り、事故はきっと風化しないと、私は思う。

123便に乗ったことのある乗客として、今年もまたあの日を迎える。そうだ、今年は自分の子供にこの話をしよう。「生きる」ことに懸命に闘った乗員・乗客の話を伝えよう。
未来の事故を防ぐ為に。

ポケモンGOの報道で感じる違和感

元々ゲームにほとんど興味がありません。
アニメもほとんど見ません。
テレビや映画や音楽などには興味がありますし、
好きな趣味もある普通の中年女性だと思っています。

ここ数日ポケモンGOのことがテレビでたくさん報道されています。
数日前に日本でようやくダウンロードができる様になったからだと思いますが、
日本だけでなく、世界的な現象として報道されています。
私は唖然として見ています。
何でこんなに世界中の人々が熱狂しているのかわからないのです。
これだけ多くの世界中の人々が熱狂するということは、それだけ魅力的なものなのかもしれませんが、
私は全く興味が湧きません。

早速一昨日の晩に、娘が試してみたところ、家の中にもポケモンが出て来ました。
ですが、だから何なの?という感じしかしません。
申し訳ないのですが、この現象に熱狂している報道を見るにつけ、
嫌な気分になります。
こんな程度の娯楽にはまってしまうということは、他に趣味を持つ人が少ないからなのかなーと思います。

私には趣味があるので、それが息抜きであり、生きがいです。
時間があれば好きなことに没頭したい。ポケモンGOに没頭したいとは思いません。
又、スマホを持ち外に出てポケモンを探すということらしいのですが、歩きスマホだけでも危険なのに、
ゲームとして使いながら街を写しだして歩くのですから、更に危険が増大します。
絶対に事故が多発すると思います。

それと、こんな事ばかり報道している地上波テレビ局の姿勢を疑います。
他に報道しなければならない問題はたくさんあると思います。
この報道姿勢によって、更にポケモンGOの利用者が増大するでしょう。
そして事故も多発するのでしょう。

ゲームを開発したアメリカ人の言い分をテレビで見ましたが、
いろんな場所に外出する機会を増やして、社会を知ったりコミュニケートする事を目的としているそうです。
私には詭弁に聞こえました。
外に出て言ってもポケモンを探しに行くだけです。
その場所を楽しんだり、でかけた土地の人とコミュニケートするわけではない筈です。
それをするなら旅をすれば良いわけで、旅を奨励するアプリだとは思えません。

世界を席巻した商品を開発したのですから、これは凄いことだと思います。
しかし、余りに社会性の視点の欠如した娯楽本位のゲームアプリだと思います。

ポケモンGO現象が理解できない

 50代男性です。
数日前に日本でもダウンロードが開始されたポケモンGOに関して、とてもじゃないけれど好意的に受け入れられません。
世界的な現象になっていることも私の理解を超えています。
こういうことを言うと、最新の娯楽なんかわからない年寄りと思われるのでしょう。
物事にはあらゆる考え方があるので、面白いと思う方も自由ですが、こんな物何が面白いのかと思う私の考えも自由です。
私の中ではつまらない娯楽です。

 私は知的でない物に興味が湧きません。
考えるのが好きなので、ただ流されることが嫌いです。
知的好奇心を満たさない物には興味が沸かないのです。
アプリの仕組みには、いろんな仕掛けやシステム構築が成されているのですから、
それを持って知的ではないと言うのは暴論とう方もおられるのでしょうが、
私が言う知的というのは、自らに知性が宿るかどうかという意味です。
ゲームをしていて知性が宿るとは思えないし、他人に迷惑を及ぼす可能性が大なスマホゲームに知性など何も感じないのです。
それが嫌いな理由です。
 
 次に、多くの人達が好めば好む程興味が失せます。
日本人は、流行に敏感で、人と同じ事をするのを好む国民性がありますが、私はまるで逆です。
人と同じ事をするのが嫌いなのです。
たまたま私の大好きな事が多くの人と共通というのは構いませんが、
多くの人たちが好んでいるから試してみて好きになるというプロセスが嫌いなんです。
つまり流行を追わないという事です。
 
 最後に、社会性が欠如しているゲームは社会が受け入れてはならないと思います。
外に出る為のアプリだと開発者は行っている様ですが、外に出た結果、多くの人びとに迷惑を及ぼす可能性が否定できません。
歩きスマホよりも危険はゲームですから、事故が多発するのは目に見えています。
つまり、娯楽を優先として、社会性に考慮が足らない商品です。

 子供が夢中になるのは理解できますが、いい大人が熱中するのは理解できません。
こういう事を言うと、流行がわからない老人と言われるのでしょう。
全然結構です。

池上さんスゴイ

先日の参議院選挙の投票日には、各局で選挙結果を速報で伝えていましたが、テレビ東京の池上選挙は、まさに一般人の知りたいところを突いていて、とても満足できる番組でした。池上さんが、会を重ねるごとに、政治家や支援団体への質問が鋭くなってきていて、痛快です。小泉進二郎さんの演説は、毎回リポートして、彼のテクニックを分析しています。それによれば、彼は、訪れる地域について、しっかりと予習をして、ネタをしこんでいるそうです。また、その地域の方言を織り交ぜて、人々のハートをつかむようです。手の振り方、目線の配り方も完璧です。相当、お父さんにしこまれているのだな、と思います。今回、番組では、各政党の支持母体を取材して、担当のかたに、池上さんが、ストレートに質問をぶつけていました。印象に残ったところは、まず創価学会です。公明党の支持母体ですが、広報担当のかたに、政教分離についてどう思うか、や、池田会長への個人崇拝のような気がするのだが、など、学会員ではない人たちが知りたいであろうことを、おくせずに質問していて、よかったです。また、共産党の支持母体である、民青も取材していました。半世紀の間、共産党員だという女性に話を聞いていました。半世紀前は、ほとんどの人が20代だったのに、みなそのまま年をとって、今では高齢者が中心になっているそうです。そんななか、20代の情熱ある若者の活動ぶりが、印象的でした。しかし、テレビ局にひとこと。願わくは、選挙前に見ておきたかったです。

ソフトバンクが再び証券業に乗り出します

今朝の日本経済新聞で、ソフトバンクがインターネット証券会社のワンタップバイに出資して、事業提携を行うようだと報道されています。
かつてソフトバンクグループには金融部門が存在しました。それは、現在のSBIホールディングスという会社です。この会社はもともとソフトバンクの金融部門でした。1990年台に野村證券の事業部長だった北尾吉孝氏がソフトバンクの役員に転身し、ソフトバンクの資金調達を担当し、ソフトバンクの金融部門を担当するようになりました。
北尾氏は、孫社長の事業拡大の意欲を大いに助け、大規模な資金調達で大活躍したのですが、一方ではソフトバンクの中に金融部門の持株会社を設立し、その下にインターネット証券会社や投資会社、インターネット損害保険会社、インターネット生命保険会社などを設立していきました。そして、次第にソフトバンクからの独立を模索する発言をしたり、行動をしたりするようになりました。
両社の間でさまざまな駆け引きがあったようですが、最終的には、ソフトバンクの金融持株会社が外部の会社に対して第三者割当増資を実施し、ソフトバンク本体の出資比率を33.4%未満にすることで孫社長と北尾氏が合意し、北尾氏は念願の独立を達成したのでした。このとき、私は孫社長と北尾氏の間で、お互いのビジネス領域は犯さないという暗黙の合意がなされたものと解釈していました。
しかし、今回のソフトバンクによるワンタップバイに対する出資によって、再びソフトバンクは証券業界に進出することを表明したので、もはや孫社長と北尾氏との間の良好な関係はなくなったと判断してよいと思います。それに、ソフトバンクの子会社のヤフージャパンでは、すでにFX事業に乗り出していて、かなりの顧客を獲得しているようです。FX事業については、北尾氏が率いるSBI証券とすでにバッティングしています。
これからソフトバンクとSBIホールディングスとの間で、金融ビジネスにおける戦いが勃発し、どちらが勝利をおさめるのか興味深いですが、ソフトバンクも相当なことをやってくると思っています。

中国とアメリカに不安です

中国の南シナ海占拠に対して、国際的に司法判断が下されましたが、これに対して一歩も譲らない中国の、というか、中国共産党の姿勢に、たいへん不安を感じています。社会主義や共産主義というのは、もともとのイデオロギー自体は悪くないのに、年月がたつと、恐ろしい考え方になってくるものですね。なんか、戦争も辞さないような感じがして、こわいです。ただ、わたし自身はいつも、中国人と中国共産党は分けて考えています。個人個人で見れば、大方の人は平和的なのではないかと思うのです。たとえば、台湾のひとや、シンガポールの中国系のひとたちは、わたしたちと変わりないですから。共産党があおるから、ああなるのです。話は変わり、トランプさんが、米共和党の大統領候補として、正式に任命されましたが、人口2億人もいて、彼なのー?という感じです。知り合いのアメリカ人によれば、彼が持っている会社や財産は、すべて父親から引き継いだだけのもの。さらに彼は、4つも会社を倒産させてしまったそうです。経営手腕からいっても、別にたいしたことないような気がするのですが。べつのアメリカ人は、彼が大統領になったら、帰国したくないと言っています。また人種差別や宗教差別の発言にもみられるような、幼稚な考え方で、世界の警察が務まるのかどうか。ただでさえ、大国、中国の傍若無人ぶりが世界の脅威になっているのに、秩序の維持がトランプさんにできるとは思えないです。危ないことにならないことを祈るばかりです。